著者:ひまわり
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こんな方にこの記事が役立ちます
・帰国後、子どもが学校になじめるか心配な方
・インター校から日本の小学校への転校・編入を控えている方
・子どもが「学校に行きたくない」と言って戸惑っている方
・編入後、毎日登校はしているものの、なんとなく様子が気になる方
あの夜のことは、今でもよく覚えています。
帰国から約1ヶ月が経った頃。夜布団に入った娘が、ふいに泣き始めました。
話を聞くと、「授業が分からない」「国語が全然ついていけない」「マレーシアのインター校に戻りたい」と言いました。それから夜中23時を過ぎるまで、疲れて眠りにつくまで、娘は泣き続けました。
親として、胸が痛かったです。そして同時に、わたしたちは、娘が毎日学校でどのように過ごしているのか何も知らなかったことに気づきました。
この記事では、帰国後に娘が学校に行きたくないと言うまで気付けなかったこと、そしてそこからの約2ヶ月間でどのように過ごし、どう回復していったのかを、正直に振り返ってみたいと思います。
※本記事は実際の体験に基づいています。
「徐々に慣れてきた」と思っていた
帰国直後は、わたしたち親自身も必死でした。
住まいも仕事も学校も、すべての環境が一度に変わりました。引越先は大阪でしたが、大阪に住むのも初めてですし、子供達は日本の公立の小学校に通うのも初めてでした。マレーシアに渡航する際に家具・家電はほとんど処分していたため、新居には何もありませんでした。帰国後、仕事・学校は休む間もなく始まったため、落ち着く間もなく、しばらくは段ボール箱をテーブル代わりにし、新しい仕事・学校と生活の立ち上げを同時並行で進めていきました。
子どもたちにとっても、非常に慌ただしく、急激な環境の変化があり大変だったと思います。
日本の学校への編入から1ヶ月が経ち、娘は毎日学校に通っていました。登校をしぶる様子もなく、家での様子も特に変わったところはありませんでした。生活も徐々に落ち着いてきて、「子供達も新しい環境にも慣れてきたのかな」と思い始めていた頃でした。

気付けなかった理由
インター校に通っていた頃は、専用アプリを通じて毎日クラスの様子が写真や動画付きで届いていました。先生からのメッセージも頻繁にありましたし、親が学校に行く機会も多く、子どもたちが学校でどう過ごしているかを日常的に情報が入る環境にいました。
日本の公立小学校は、そういった環境にはありません。授業参観や運動会など、親が学校に行く行事はありますが、通っていたインター校と比較すると機会は各段に少なくなりました。
また、転勤族の方々ではご経験のある方も多いと思いますが、引越先には知り合いが一人もいないことがほとんどです。親同士のネットワークもないため、帰国当初は、転校先の学校でいつも子供達がどのように過ごしているのか、ほとんど分からない状態にありました。
もちろん、連絡帳もありますし、先生とお話しする機会もありますが、インター校に通っていた頃と比べると、学校での様子が分からなくなっていました。そして、仕事が変わり、生活の立ち上げも進めるなど、非常に慌しかった中で、「自分たちは、子供達が学校どう過ごしているのかを分かっていない」ということ自体に気づいていませんでした。
夜中23時まで泣き続けた夜
帰国から1ヶ月が経ったある夜、娘が泣き始めました。理由を聞くと、「学校に行きたくない」、「授業が分からない」、「⚪︎⚪︎(通っていたインター校名)に戻りたい」と言い泣き続けました。
娘の言葉を聞いて、わたしたちは「大丈夫だよ」と励ましました。でも簡単に収まるはずもなく、娘は疲れて眠りにつく夜中23時頃まで泣き続けました。
それまで、漢字の書き取りや教科書の音読、算数の宿題などに苦戦しながら取り組む姿を見ていましたが、親としては、「ゆっくりと慣れていけばいい」と思っていました。ですが、実際に毎日学校に通って、慣れない日本の授業を受け、分からずに辛い思いをしていたのは娘です。また、編入当初は、仲の良い友達がいるわけでもなく、娘にとっては、相当辛い環境だったと思います。
その翌日から、わたしたちにできることを一つずつ始めることにしました。

2ヶ月間の付き添い登校
翌日から始めたのは、集団登校への付き添いでした。毎朝、「学校に行きたくない」という娘を励まし、集団登校に付き添って学校まで行きました。
付き添うことで、何とか休まず学校に通い続けることができました。途中、何度か一人で(集団登校の集合場所まで)行かせようとしたこともありましたが、「嫌だ」と言い、学校に行きたがらず、一人で行けるようになるまで約2ヶ月かかりました。娘にとっては、登校自体も辛かったようであり、親が一緒にいることで、安心感が得られていたように思います。
あわせて、担任の先生には、授業についていけず辛い思いをしているので気にかけてほしいとお伝えしました。

家庭でできたこと|無理なく「毎日続ける」工夫
学校でのフォローと並行して、家庭でもできることを始めました。
学習は「教科書中心」に絞った
家庭での学習は、毎日の宿題を親もフォローする形で行いました。教科書の音読・漢字の書き取り・算数の計算問題など、学校から出される宿題の量はそれなりに多く、基本的には教科書中心の学習を毎日続けることにしました。
音読でつっかえたり、漢字の読み方や書き方がわからなかったり。算数が理解できなかったり、日本の学習に慣れていないこともあり、つまずくことも多かったですが、親が近くで見守り、分からないことは教えることで進めていきました。
学校の宿題を親が見守りながら一緒に行う、基本的なことを毎日行いました。それだけでしたが、日本の学習に慣れていなかったこともあり、娘にとって、小さくはない負荷があったと思います。
娘の希望で始めた「ポケモンの漢字ドリル」
そんな中で、唯一追加したのがポケモンの漢字ドリル(ポケモンずかんドリル)でした。これは親が用意したものではなく、書店で本を見ていたときに娘自身が「これならやりたい」と希望したものです。
こちらは、バトルをクリアする(漢字ドリルを進めていく)ごとにポケモンのシールをゲットし、ボードに貼って学習を進めていくタイプのドリルとなります。
娘は割とコツコツタイプであり、毎日バトル(学習)を終えてシールを少しずつ貼り進めていくのが楽しいようで、「勉強させられている」という感じではなく、自分から積極的に取り組んでいました。楽しめる教材の力は、想像以上に大きいものだと感じました。

「毎日続ける」をチェックシートで習慣に
こちらは学校が準備したものですが、毎日、宿題を終えたらチェックシートに親がサインをしました。ポケモンの漢字ドリルを終えたらシールを貼るのも同じですが、「今日もできた」という印が積み重なっていき、子どもにとって目に見える達成感になっていたと思います。
娘は割と真面目に取り組む性格で、コツコツと毎日続けていました。親が無理にやらせることはせず、取り組んだのは学校の宿題と本人の希望で買った漢字ドリルだけでしたが、無理なく続けられるものを親が見守りながら習慣的に行うこと。それが、わが家にとっては合っていたように思います。
日本語力の土台づくりと社会への理解に「朝日小学生新聞」
文字を読む習慣をつけてもらいたいのと、社会への関心・理解を深めてもらいたいとの思いで、我が家では、朝日小学生新聞を購読しています。低学年の下の子というよりは、高学年の上の子向けに購読を始めたのですが、興味を引く大きな写真(例:実物大の交通標識の写真など)が掲載されていたり、マンガのページがあったりと、低学年の子でも読めたり、興味を引くページがあり、娘も一部ですが読んでいます。
📰 日本語のフォローに
帰国後の日本語のフォローのため朝日小学生新聞を活用しています。写真や絵が多くて読みやすく、時事ニュースだけでなく、日本各地の地域や文化、科学、スポーツなど、社会のことを幅広に小学生用に分かりやすく掲載されています。海外から帰国後の国語力のフォローのみならず、世の中のことを知り、関心を持つといった意味において効果を感じています。
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なお、海外赴任中は、日本の学習のフォローとして通信教育(こどもちゃれんじ)も活用していました。帰国後の家庭学習や、海外での日本語フォローについては、こちらの記事でも詳しく書いています。
→ インター校から日本の公立小学校へ転校してわかったこと・家庭学習はこちら
回復のきっかけは「友達」だった
その後、徐々に元気になっていきましたが、特定の転機があった訳ではなく、日々の学習を積み重ねる中で、授業には少しずつついていけるようになっていきました。そして何より大きかったのは、学校に仲の良い友達ができたことでした。
友達と楽しく遊べるようになってから、娘の様子が目に見えて変わっていきました。「学校に行きたくない」という言葉は、いつのまにか聞かれなくなっていました。勉強が分かるようになったこともありますが、「学校で友達と楽しく過ごせる」ことのほうが、娘にとってはずっと大きかったのだと思います。
帰国後、友達との時間を大切にするようにした
この経験から、帰国後にわたしたちが心がけていることですが、娘が自分から「友達と遊びたい」とか何かをしたいと言い出したときは、できる限り叶えてあげるようにしています。
マレーシアでの生活では、安全上の理由から子どもたちだけで約束して自由に遊ぶことができませんでした。友達と遊ぶには必ず親同士で予定を合わる必要があり、子ども同士で自由に遊ぶ機会がほとんどありませんでした。また、転勤族のため引越しのたびに友達関係がリセットされており、寂しい思いもしてきたかと思います。
だからこそ、日本に帰国してからは、子どもが自分から「遊びたい」と言った際は、できる限り行かせてあげるようにしています。今では、放課後毎日のように友達と遊ぶようになり、マレーシアでは余り経験できなかった時間を過ごさせてあげたいと考えてます。

まとめ|振り返ってみて
今振り返ると、学校での様子をもっと聞いてあげればよかったと思っています。
インター校の頃は、親が学校に行く機会も多く、また、アプリを通じて子ども達の様子が毎日送られており、自然体でも学校での様子が分かる環境でした。編入後、日本の公立小学校に通うのは初めてであり、自分達は何も知らなかったのにも関わらず、日々のバタバタの中で、日々の学校での様子を積極的に聞くことが足りていなかったように思えます。
環境が大きく変わった中で、子ども達も親に心配をかけまいと頑張っていたと思います。毎日学校に行っているから大丈夫といった思い込みはせず、「今日どうだった?」のひと言をもっと聞いてあげていればよかったなと思っています。
この記事が、帰国後のお子さんの様子が心配な方、またはこれから帰国を控えているご家族にとって、少しでも参考になれば幸いです。
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